



瑞巌寺と芭蕉 四寺廻廊
かつて八百島と呼ばれた、大小の島々が松島湾に浮かぶ。
松尾芭蕉が「奥の細道』のなかで「扶桑第一の好風にして、几洞庭、西湖を恥ず」
と述べた松島の景観は、見る場所によってさまざまに趣を変え、
また四季折々の変化もすばらしいですが、
ご承知の通り芭蕉はこの松島の地では一句も詠んでいません。
奥の細道で旅立つ序文の中で
もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、
松島の月先心にかゝりて住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
【そうしたわけで、ももひきの破れをつくろい、笠の緒を付けかえ、 三里のつぼに灸をすえて旅支度をはじめると、さっそくながら、 松島の名月がまず気にかかって、 住まいの方は人に譲り、旅立つまで杉風の別宅に移ることにして・・・】
この通り芭蕉はこの旅の目的が松島の観光の一つである事を書いています。
また、その景観には十分満足していたであろう彼が
一句も作っていない。。。
創作意欲が湧かなかったのか、それとも意図的に作らなかったのか?
たぶん意図的に詠まないことで、松島の素晴らしさを表現したかったのでしょうね。
瑞巌寺に関して
其後に雲居禅師の徳化に依て、七堂甍改りて、金壁荘厳光を輝、仏土成就の大伽藍とはなれりける。
【その後、雲居禅師の、徳によって人を善に導く努力により、 七つの堂の建物が立派に改築され、金色の壁や仏前の飾りが光り輝き 、仏の住む世界をこの世に実現する大寺院となったのである。】
芭蕉が松島に来たのは元禄2年(1689年)5月9日
創建から80年余りの真新しい壮麗な瑞巌寺は、彼にとって上記の文面通り、心の底から感動したのでしょうか?