四寺廻廊 ジジイのたわ言
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寒空の早朝、我が家の前を判で押したように毎日同じ時刻6時半に自転車を押して通るおじさんがいる。
夜間の仕事が今、終わったのだろう。疲れ切ったその表情に錆びついた自転車は、疲れ果てた彼の人生そのものに見える。
想像するんだ。
歳の頃は60代前半、年老いた両親との3 人暮らしの独身。帰ると朝食を作り食べさせる。一杯酒をひっかけて仮眠をとる。浅い眠りの後の目覚め、 夕飯の支度をして職場に出社。その毎日の繰り返し。
そして自問するんだ。
こんな筈じゃあ無かったと、時間に追われ食うための仕事で毎日が潰れてしまう。変えられない現実に只々、時間だけが流れて行く。
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そして思うんだ。
俺の人生何が拙かったのか、周りの同年代は悠々自適の年金生活者ばかり。
仕事は楽しいと思ったことは無かったが真面目に働いてきた。残業も進んでやった。 人間関係は可もなく不可もなく普通だ。能力だってそんなに変わりはしないのに、何故、総括する時間すらなく、死ぬまで働かなければならないのかと。
彼の後ろ姿が切なく見える。
人生、思うような生き方をした人は誰も居ない筈だ。でも、金で解決出来る現実の差ってなんだろうとこの歳になると思う。
お金イコール貧乏、そして裕福が決まってしまう現実。彼にだけ当てられることのなかったスポットライト。よく親父が言っていた、 「○○さんは、ウザネばっかりハグ人だった」と、一生報われず終わった人だと片づけるには、あまりに可哀そ過ぎる。
人生に勝者と敗者があるなら敗者にしか分からない。
変わることのない朝の風景。
[四寺廻廊] 2018.2.18