中尊寺と芭蕉 四寺廻廊

中尊寺と芭蕉

  • 元禄2年1689年 芭蕉46歳の時、曽良を伴って5月13日平泉を訪れました。
    奥の細道の紀行文の中に数十点俳句がちりばめてありますが、 この紀行文は必ずしも事実通りではないと云われています。
    「五月雨の 降残してや 光堂」
    素直に読む限り金色堂は屋外に建ち、雨の中で輝いている姿に詠めますが、 芭蕉が見た金色堂は雨風を防ぐために鎌倉幕府が作った覆い堂の中の金色堂をみたのであり、 屋外の裸の金色堂を見たのではない事や、 平泉に来た季節は旧暦5月12日、今の6月下旬で蒸し暑い梅雨の季節で有った事など指摘されています。

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    芭蕉は金色堂を訪れる前に義経ゆかりの高館の義経堂に立ち寄っています。
    「夏草や 兵どもが 夢の跡」
    この句を詠んだ芭蕉の目の前にあるのは生い茂った夏草だけ、廃墟の中に芭蕉は立っています。 ここでも芭蕉は実際に目に見えないもの、つまり彼の心の中のイメージを織り込み義経・弁慶主従だけではなく、 藤原三代100年の栄華をも想像させています。
    多分にフィクッションが多いといえば云えなくもないですが、彼の文学的センスがそうさせるのでしょう。
    紀行文としでは無く、創作・散文と理解すれば何の違和感もないと思うのですが、、

    芭蕉一行は折り返し点というべき平泉から、山形、北陸道を歩いて結びの大垣へ向かいました。
    ・・・この旅から5年後の51歳で芭蕉は亡くなっています。

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